2015年10月24日土曜日

次世代に残したい神奈川の自然

第8回 沼代の棚田
                                     小田原市  頼 ウメ子

 小田原市の東の外れに40 軒程の小さな集落があります。そしてその足元には緩やかなカーブを描きながら棚田が広がります。ここがサシバプロジェクトチームの舞台です。今も交通の便が悪く時代の波から取り残されたような印象を受けますが、古老によれば500 年以上も前に小田原攻めでやって来た武田軍の残党が住み着いたと言いますし、年貢は小田原藩ではなく江戸のとある藩に納めたと言い、なんとも歴史のある集落のようです。
 山間の狭い土地ながら米、ミカン、玉ねぎ等、四季折々の作物を栽培し豊かな暮らしぶりが垣間見えます。ただここでも若者は外に出るか会社勤めで、棚田の働き手は皆高齢者です。そのため次第に棚田は荒れて行き、それにつれ10 年程前からサシバの繁殖は無くなりました。
 調査を進めるにつれ、想像以上に豊かな自然が残っている事が分かりました。特に水生動物は驚くばかりで、専門家は「沼代の奇跡」とその豊かさを表現しました。これまで神奈川レッドデーター生物の絶滅危惧種や準絶滅危惧種等要注意種以上に該当する水生動物が12種も見つかりこれはまさに奇跡です。サシバはこれらの生物に支えられていたのですね。それでも昔に比べれば大いに数は減ったと村人は嘆きます。層をなした岩肌から滴り落ちる水は清冽ながらも養分が多く、サシバプロジェクトチームが作る米は味が良く、クリスマスプレゼントをしている施設にも好評です。
 小田原市の補助金は、草刈りの機械化とそれに続く米作りへと大きく歩を進めてくれましたが、忘れてはならないのは地元の若者の農業集団が作られた事です。都会暮しから戻った青年を中心に輪は広がり、次々と荒れ地を水田へ変えて行きました。美しい棚田を復活したいと願う若者の思いは我々をも大いに刺激しました。
 サシバへの理解を深めようと折に触れ流した回覧板が彼らの背中をそっと押した事を後で知りました。何も無いように見えた棚田にこれ程の貴重な生き物が棲みついていた事を初めて知ったのだそうです。
 足を踏み入れて今年で6年。小田原市にありながら訪れる事がなかった沼代です。サシバの営巣が途絶えた事、そして渡りの中継地・矢倉岳を通過するサシバが減少した事がこの地へと我々を誘いましたが、見知らぬ土地に踏み込む難しさを実感した日々でもありました。鳥の保護とはいえ荒れ地の草を刈らせて欲しいとのいきなりのお願いは、地元には理解を越えていたのでしょう。とは言え棚田の現状を見れば最後のチャンスとの思いもあったのかもしれません。自治会の会議にかけ地主から申し出があれば認めるという返事でした。幸い、地元の若者が名乗りを上げ、活動は動き出しましたが、開発したい時には直ぐにでも出て行って欲しいとの事で、船出は中々厳しいものでした。

何事も時間が解決してくれますね。真冬でも真夏でも黙々と汗を流す懸命な姿に心が動いたのでしょう。遠巻きに眺めていた村人が草刈りを申し込んで来るようになり、放置田は次第に消えて行きました。しかし従事者の高齢化はいかんともし難く、整備するそばから新たな放置田が増えて行くジレンマを味わいました。
 そうした中、最近何年も荒れたままだった竹藪や果樹園を地主自らが切り開く動きを見せています。思いがけない事でした。草や竹が払われた跡に現れた棚田にサシバの舞う日もそう遠くはないと胸が熱くなりました。